◆古本・倉敷「蟲文庫」◆
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2005年09月07日

derek jarmanの庭 1

何度か書きましたが、この6月、本当に、思いも寄らない形でデレク・ジャーマンの庭
を訪ねることができました。「いつかあの庭に立ってみたい」という気持ちがあったの
は、もちろん事実ですが、貧乏と出不精が手を携えて生活してるような私にとっては、
それこそ「小さくなって苔の森を彷徨いたい」だとかいう、ただの妄想と変わらないレ
ベルでの「夢」であったので、「デレク・ジャーマンの庭に行きませんか?」とお話を
いただいた瞬間、何を血迷ったか「青天の霹靂」という言葉が浮かんだくらいです。
だってある日突然、「スモールライト(ドラえもんの)があるんですけど、小さくなっ
てみませんか?」なんて言われたら、誰だって面食らいますよ。

そんなこんなで、殆ど呆然としたまま行って帰ってきたという感じだったのですが、で
も、せっかくのことですから、何か自分なりに形にしておきたいとも思うので、ここで
はひとまず、書き留めるという意味も含めて、あれこれ思い出してみたいと思っていま
す。写真もけっこう撮ってきましたし。

デレク・ジャーマンの庭には、その存在を知ったときから、うすぼんやりと、先日の日
「店の裏山」 にもちらと書いた、重森三玲の庭の思想などにも通じる感覚を覚えてい
ました。デレク・ジャーマン自身が、そんなことを考えていたかどうかは知るよしもあ
りませんが、私よりもそのへんの事にはずっと詳しい知人も、デレク・ジャーマンの庭
といえば、藤原定家の「見渡せば花ももみじもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ」と
いう歌を連想すると言います。この歌は、茶の湯や枯山水に大きな影響を与えた歌で、
定家はこれを、さびれた海辺の漁師小屋をみて詠んだといいますが、デレク・ジャーマ
ンの庭のある「プロスペクト・コテージ」も、やはり、さびれた漁村にある、100年
以上前に建てられた漁師小屋でした。....まあ、これまた、だからどうした。という話
しかもしれませんが、でも現代の世界の西の端と昔の世界の東の端とが漁師小屋でつな
がる。なんて想像してみるのは、ちょっと鳥肌のたつような愉しさがあります。

なんていう、いきなり自分で自分の首を絞めるようなスゴイところから始めてしまいま
したが、ともかく思いつくままということで、何卒ご寛恕のほど。

そういえば、デレク・ジャーマンが生涯こだわった「モネの睡蓮」(ジャポニズム的志
向に通ず)は、うちの近所の大原美術館にも所蔵されていますが、そのおかげで、フラ
ンスはジベルニーのモネの庭園にある、その睡蓮そのものも、株分けされて美術館の敷
地内にあるのです。ちょびっとだけど。

写真は、イギリスらしい曇り空の海辺と「プロスペクト・コテージ」
季節柄、ずいぶん華やかですが。

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posted by 蟲文庫 at 13:43 | ダンジェネスの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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